経験価値経済序説—医療の場における「説明」と差別化

畑中泰道


経験価値経済とは


 パインとギルモアによる『経験経済』(The Experience Economy)という書物があります。この本で解かれているのは、付加価値としての「経験」の重要性です。
 現代経済において「陳腐化」を避けるのは至上命題です。なぜなら、陳腐化した商品は激烈な価格競争にさらされることになるからです。第1次産業で作られるものはどれもみな同じと考えられ、価格によってのみ区別されます(これを避けるために「ブランド」が用いられますが、これは経験価値を付加する方法の1つだと考えることができます)。第2次産業の製品も、機能などによる差別化が有効に機能しなくなると陳腐化していきます。
 外食産業は第3次産業(サービス業)として位置づけることができますが、ここにも陳腐化と価格競争の波が押し寄せていることは、すでにご存じのとおりです。一般的な産業分類では第1次?第3次の3つの分類をしますが、ここに「経験価値産業」とでも呼ぶべき第4次産業の出現を見てとるのが、経験価値経済の出発点となる考えかたです。
 それぞれの産業は、モノに付加価値を付け加えることで成り立っています。たとえば第2次産業では、第1次産業の産物を加工して商品にすることによって、それまでにはない価値を作り出しています。この付加価値が、いわばその産業の存在価値であり、消費者はその付加価値に対して対価を支払うのです。第3次産業では「モノ」を売るのではなく、そのものを使って提供する「サービス」を売ります。医療もこの「サービス」に該当します。
 このサービスに「経験価値」を付加するのが、第4次産業としての経験価値産業である、というのが、パインとギルモアの主張です。経験価値をごく簡単に定義するなら、消費者が喜び、その記憶に残る何か、だと言えます。『経験経済』では、ベニスでエスプレッソ・バーのコーヒーに1杯15ドル以上を喜んで支払った夫婦の話が紹介されています。エスプレッソの本場イタリアで、古い町並みを眺めながら楽しむコーヒーには、それだけ支払う価値があると考えられるわけです。ふつうに喫茶店で飲むコーヒーの価格と、このエスプレッソ・バーで飲むコーヒーの価格との差が、「経験価値」という付加価値に対する対価であると言えます。


医療における「付加価値」と「説明」


 それぞれの産業が成熟期に入ると「陳腐化」の波が押し寄せます。歯科医療を例にとっても、保険診療の典型であるう歯の治療と疼痛の除去は、少なくとも医療を受ける患者(=消費者)の視点から見れば、基本的にはどこで受けても変わらないと考えられ、この意味で陳腐化してしまっていると言えます。健康保険制度のもとでは価格競争になることはありませんが、それだけに差別化が難しいのも事実です。
 このような状況でも、経験価値を付加することによって差別化を図ることができます。それでは、医療の場における経験価値とは何でしょうか。医療現場で、直接の治療行為以外に、何をすれば患者が喜び、その記憶に残る何かを提供することができるでしょうか。それは「本当に親身になってもらえている」という感覚ではないかと考えます。医師やその他のスタッフが本当に親身になってくれている、と患者が感じるとき、そこに喜びを見いだし、患者の記憶に残る経験価値が生み出されるのではないでしょうか。
 そのための最大の要素が「傾聴」と「説明」だと考えられます。患者の話に最大限に耳を傾け、共感を持ってその話を聞き、患者の求めることに対して十分な説明を提供することで、患者の不安を取り除き、安心のための材料を与え、患者の記憶に残る医師のひとりとなることが可能になります。つまり、十分な傾聴と説明が、差別化を図るための付加価値となるわけです。
 これは単なる「おまけ」ではありません。経験価値産業においては、経験価値こそが「売りもの」なのです。もちろん、治療がたしかなものでなければならないのは言うまでもありません。技術と実績あってこその経験価値です。しかし、医療において経験価値が軽視される傾向があるのも事実です。いくら腕がよくても、それはいわばあたりまえのものと考えられてしまいます。それだけでは、もはや生き残ることがおぼつかない状況になってきているのです。
参考文献
Pine II、 B. Joseph and James H. Gilmore (1999). The Experience Economy: Work Is Theatre & Every Business a Stage. Harvard Business School Press.