医療社会学

 

担当講師:畑中泰道 深川雅彦

 


 医療の対象は単なる生物学的存在ではなく社会・文化的価値を持つ人間であり、また医療そのものも社会の中で行われます。このため、社会と医療は相互に影響を及ぼしあう関係にあります。この関係を研究するのが医療社会学です。
 たとえば、医師・患者関係には複数のモデルが存在し、時代とともに主流のモデルが変化してきたと、医療社会学は教えてくれます。また、説明をていねいに行うことで、単に患者が安心するだけではなく、実際に治療実績が向上する、と示す研究もあります。身体社会学(医療社会学の一分野であるとも、関連領域であるとも考えられます)では、「身体は社会によって構築される」と説きます。
 医療社会学分野の教育講演では、会員各位が日々の実践の中で疑問に感じるようなトピックをとりあげ、それが社会科学というツールでどのように分析できるか、また、その知見を日々の実践にどのように取り込んでいけるかを示すとともに、各位の「生の声」「皮膚感覚」がより反映されるような理論構築をしていければと考えています。

 

 

消費・身体・医療

「医療」と「消費」とは,一見,無縁であるように思えるかもしれません。しかし,現代の高度消費社会においては,医療もけっして消費と無縁ではありえません。

そもそも,「消費」とは何でしょうか。権威ある経済辞典で「消費」を引いてみると,「人間の欲望を満足させるために,財やサービスを利用したり消耗したりすること」とあります。医療は従来,「欲望」ではなく「必要」にもとづくものと考えられ,それゆえそこに市場原理を持ち込むことは適切ではない,と考えられてきました。もちろん,現代においても,健康の維持・管理に必要不可欠な医療については,健康保険制度によって適切な配分が決定されています。しかし,医療の中でこの「欲望」に基づく部分が多くなりつつあることもまた事実なのです。

歯科医療はこの点でより進んでいると言えます。審美歯科が一領域として確立していることがこの好例です。審美歯科が対象とするのは,痛みやその原因を取り除いたり,一生自分の歯で噛めるようにしたりするといった「必要」の問題ではなく,「美」という「欲望」レベルの要因です(「欲望」と言うとあまり聞こえがよくないと感じる方もいるかもしれませんが,あくまで専門的な概念として,最低限の「必要」と対立する概念だと考えてください)。

さらに,もう1つの社会の流れとして,「身体の部品化」を挙げることができます。西洋では,デカルトに端を発する身体機械論にその起源を求めることができるでしょう。また,臓器移植の根底にあるのも,この身体は置き換え可能な部品によって構成されている,という考えかたです。

この2つの流れが交わるところに審美歯科が位置づけられると考えることができます。すなわち,審美歯科においては,消費者である患者が「審美歯科の提供する医療サービスを購入し」,それによって「白く美しく輝く歯を手に入れ」,その結果「美しく若々しい自分になる」ことを求めているのだと言えます。これは,”Buying, Having, and Being”という,消費者行動の基本の一類型として見ることができます。

このような状況では,差別化を中心とする生存戦略を持つことが,医療者にも求められてきます。医療を消費の一形態としてみなすことには,まだまだ抵抗も多いのが事実ですが,好むと好まざるとに関わらず,消費社会のなみは医療,とりわけ歯科医療に,確実に押し寄せているのです。また,本稿ではとりあげませんでしたが,獣医領域ではさらにこの流れは顕著なのではないでしょうか。

参考文献

深川雅彦,畑中泰道 (2005) 「理想の身体と消費としての医療」『歯界展望』第105(3) pp.619-623

https://www.jsgom.jp/essay/consumption-html

 

経験価値経済序説医療の場における「説明」と差別化

畑中泰道


経験価値経済とは


 パインとギルモアによる『経験経済』(The Experience Economy)という書物があります。この本で解かれているのは、付加価値としての「経験」の重要性です。
 現代経済において「陳腐化」を避けるのは至上命題です。なぜなら、陳腐化した商品は激烈な価格競争にさらされることになるからです。第1次産業で作られるものはどれもみな同じと考えられ、価格によってのみ区別されます(これを避けるために「ブランド」が用いられますが、これは経験価値を付加する方法の1つだと考えることができます)。第2次産業の製品も、機能などによる差別化が有効に機能しなくなると陳腐化していきます。
 外食産業は第3次産業(サービス業)として位置づけることができますが、ここにも陳腐化と価格競争の波が押し寄せていることは、すでにご存じのとおりです。一般的な産業分類では第1?3次の3つの分類をしますが、ここに「経験価値産業」とでも呼ぶべき第4次産業の出現を見てとるのが、経験価値経済の出発点となる考えかたです。
 それぞれの産業は、モノに付加価値を付け加えることで成り立っています。たとえば第2次産業では、第1次産業の産物を加工して商品にすることによって、それまでにはない価値を作り出しています。この付加価値が、いわばその産業の存在価値であり、消費者はその付加価値に対して対価を支払うのです。第3次産業では「モノ」を売るのではなく、そのものを使って提供する「サービス」を売ります。医療もこの「サービス」に該当します。
 このサービスに「経験価値」を付加するのが、第4次産業としての経験価値産業である、というのが、パインとギルモアの主張です。経験価値をごく簡単に定義するなら、消費者が喜び、その記憶に残る何か、だと言えます。『経験経済』では、ベニスでエスプレッソ・バーのコーヒーに115ドル以上を喜んで支払った夫婦の話が紹介されています。エスプレッソの本場イタリアで、古い町並みを眺めながら楽しむコーヒーには、それだけ支払う価値があると考えられるわけです。ふつうに喫茶店で飲むコーヒーの価格と、このエスプレッソ・バーで飲むコーヒーの価格との差が、「経験価値」という付加価値に対する対価であると言えます。


医療における「付加価値」と「説明」


 それぞれの産業が成熟期に入ると「陳腐化」の波が押し寄せます。歯科医療を例にとっても、保険診療の典型であるう歯の治療と疼痛の除去は、少なくとも医療を受ける患者(=消費者)の視点から見れば、基本的にはどこで受けても変わらないと考えられ、この意味で陳腐化してしまっていると言えます。健康保険制度のもとでは価格競争になることはありませんが、それだけに差別化が難しいのも事実です。
 このような状況でも、経験価値を付加することによって差別化を図ることができます。それでは、医療の場における経験価値とは何でしょうか。医療現場で、直接の治療行為以外に、何をすれば患者が喜び、その記憶に残る何かを提供することができるでしょうか。それは「本当に親身になってもらえている」という感覚ではないかと考えます。医師やその他のスタッフが本当に親身になってくれている、と患者が感じるとき、そこに喜びを見いだし、患者の記憶に残る経験価値が生み出されるのではないでしょうか。
 そのための最大の要素が「傾聴」と「説明」だと考えられます。患者の話に最大限に耳を傾け、共感を持ってその話を聞き、患者の求めることに対して十分な説明を提供することで、患者の不安を取り除き、安心のための材料を与え、患者の記憶に残る医師のひとりとなることが可能になります。つまり、十分な傾聴と説明が、差別化を図るための付加価値となるわけです。
 これは単なる「おまけ」ではありません。経験価値産業においては、経験価値こそが「売りもの」なのです。もちろん、治療がたしかなものでなければならないのは言うまでもありません。技術と実績あってこその経験価値です。しかし、医療において経験価値が軽視される傾向があるのも事実です。いくら腕がよくても、それはいわばあたりまえのものと考えられてしまいます。それだけでは、もはや生き残ることがおぼつかない状況になってきているのです。
参考文献
Pine II
B. Joseph and James H. Gilmore (1999). The Experience Economy: Work Is Theatre & Every Business a Stage. Harvard Business School Press.
 

https://www.jsgom.jp/essay/experience